私は悪い社員だった


私が仕事を辞めた理由は3つありました。
●時間外労働が多かった
●取引先がムカついた
●他にやりたい事ができた

端的に言うと半分ぐらいは会社が嫌になって辞めた、といえます。
しかし、私は会社を恨んでません。
自分で言うのもなんですが、私も問題のある社員だったからです。
むしろ、そんなダメ社員にそこそこの給料を支給してくれた会社には感謝しているぐらいです。

あれから数年、今になって昔の自分を反省する気持ちも湧いてきました。
それを踏まえて、私の会社員時代を振り返りたいと思います。

期待されて入社した

私が入社したのは社員数数百人の中規模の会社でした。
大企業ではありませんが、業績の安定した、借金の少ない優良企業でした。

私は自衛隊出身ということで入社直後から注目を集めていました。
入社式では新入社員代表として挨拶をするなど、将来を期待された社員でした。

希望にあふれていましたものの、人生経験不足ゆえか、自分の未来図もはっきりしてませんでした。いわんや、自分の価値観の順序付けもできてない状況でした。

その会社で一生働くのもいいけど、独立したり、海外でも仕事してみたいな。
辛くても仕事は頑張って、はやく一人前になりたいな。
一会社員だけど世の中を少しでも良くしたいな
給料もらったらいままで出来なかったことをしたいな。

色々な夢を見ていました。
それはいいのですが、どれか1つ、強い思いというのはありませんでした。
これが後の迷走の原因となります。

デスクワークに従事

元自衛官ではありますが、会社ではデスクワークをしていました。
現場部隊が集めたデータを集計したり、それを元に報告書を書いたりする仕事をしていました。
単純作業から高度な技術が必要な仕事までありましたが、当然新入社員ですから単純作業や、それ以前の雑用をすることが多かったです。

しかし、雑用1つでも、これまでやってこなかったことが多かったので、毎日覚えることが多くて大変でした。
特に電話取りは苦手で失敗することも多く、凹む日が多かったです。
ただし、いきなり高度なことはやらされませんでした。

即戦力でバリバリ働かせるという方針ではなく、数年後に一人前になってくれたらいい、という育て方だったと思います。
「1年目は物理的に会社を壊さない限り何をやってもいいよ」と先輩が言ってくれたのが印象に残っています。
忙しい職場でしたが、そういう意味では優しい職場だったと思います。

馴染まない?馴染めない?

私は元来社交的な性格ではありません。友人も少ないです。具体的に言うと、気の合う人以外とほどほどに上手く付き合うということが苦手です。
その欠点は私もわかっていたので、会社は仕事をする場所で、友人を作る場所ではないと割り切ろうと思って、あまり心を開くことはありませんでした。

そういうわけで、私は何となく浮いた存在になっていました。特に女性社員からすると取っ付きにくい変なやつと思われていたみたいです。
私が「あの、すいません…」と話しかけると、「えっ!?なに!?」と不審者みたいなリアクションをとられてました(笑)。

ちょっと先の話になりますが、2年目の仕事納めの立食会で、部長(女性)から「もうここに慣れた?」と聞かれました。
「慣れた?」なんて、新人の3ヶ月目ぐらいに言われることを、2年目の社員が言われるわけです。

周囲からすれば、入社2年近くいるのにまだ慣れていないと思われていたわけで、自分は終わっているなと呆然となりました。

ちょうどこの1年後の仕事納めの日、私は退職しました。

投資開始

1年目は色々覚えることもあり、邪念はあまりなく真面目に働いていました。
しかし、冬のボーナスをもらう頃にはそれなりに貯金が溜まっていたので投資を再開することにしました。
自衛隊時代にもやってて、失敗して撤退していましたが、リベンジです。
まずは商品先物に手を出しましたが、10万円ほど損をして撤退しました。日経平均の先物も20万円ほど損をして撤退しました。
結局、自衛隊時代と同じFXをやることにしました。

FXで5億稼いだ坂本君みたいに、FXで稼げるようになって人生のステージを一気に上げたいと思っていました。
しかし、仕事中も値動きが気になって、しょっちゅう便所に行ってケータイで値段をチェックしていました(いわゆる便所トレーダー)。
仕事中も周囲に人がいない隙を見て、会社のパソコンでチャートを見ていました。

…よくないですね。反省してます。
しかし、当時の自分としてはそれは仕事より重要でした。
いくら仕事を頑張っても、人生を変えるぐらいのお金って、入ってこないですからね。

結局の所、FXはリーマンショックで100万円以上の損して撤退しました。仕事をサボった挙句、大損とはアホとしかいいようがありません。

もっと悪い人もいた

私はロクでもない社員だったと思いますが、上には上がいました。
私の席の前に座っていたTさん(40代)は首になりました。

彼は病気がちでしょっちゅう仕事を休んでいました。
薬をいっぱい飲んでいたので、病気というのは本当でしょうが、それにかこつけてズル休みしていたようでした。
私が直接確認したわけではありませんが、近い筋からの情報では間違いなさそうでした。

だから、上層部も彼に多くの業務を任せるわけにはいかず、基本的に1つの仕事しかしてませんでした。
それでも年数が長いので彼の数倍働いている若手社員より多い給料をもらっていたはずです。
当然、下からは不満の声が上がっていました。

彼も昔はデキる社員だったみたいで、昔の自慢話をよく若手社員にしていました。
正直、昔の自慢話をするのはビジネスマンとして終わってるサインですが、他の人の話を聞いても確かに昔はデキる人だったようです。でも、病気のせいか、途中で腐ってしまったみたいです。

しかし、不思議と彼は嫌われているわけではありませんでした。私もTさんは嫌いじゃなかったです。時々陰で笑い話のネタになる、和み役とも言えなくはなかったと思います。
仕事中でも堂々と釣りのホームページを見たり、釣り仲間にメールしたりと、後ろの席で見ていて面白かったです。

しかし、ここは民間企業です。明らかにコストパフォーマンスの悪かったTさんをほっとくわけには行かなかったのでしょう。
ある日、Tさんが上司に呼ばれました。
戻ってくるとTさんはかなり不機嫌そうな感じで、話しかけるのも憚られる様子でした。わりとおしゃべりな人なのですが、その日はそれ以降何も言葉を発しませんでした。

数日後、Tさんの退職が知らされました。
病気療養が理由でしたが、恐らく辞めるようにプレッシャーをかけられたのだと思います。

明日は我が身だと思いました。

超ムカツク取引先

私が会社を辞めた大きな理由が、取引先がムカつくということでした。
省庁の役人でしたがびっくりするほど取引先を見下していました。

私が昔、インドの病院で入院していた時、超エリートの医者が外国人である私のことを見る目とそっくりでした。悪意とかいうレベルじゃなくて、元々同じ人として見てない感じでした。

役人は細かいことで深夜までケチをつけてきて、気に入らないと即クレーム。
打ち合わせでは終始高圧的な態度。

こいつを殴ってやめてやろうか、と何度思ったか分かりません。
私は下っ端なので、直接やり取りすることは少なかったのですが、数年経てば、奴らと直に相対することになります。それは絶対に嫌でした。それなら無職の方がマシとすら思っていました。
一方、文句を言いながらも、奴らに従い、最終的に仕事を終わらせる先輩を、皮肉無しで尊敬していました。
先輩みたいに、たとえ嫌いな相手でもビジネスライクに対応できればいいのですが、私には未熟すぎて不可能でした。今でも無理だと思います。

そういう意味でも、私はサラリーマンに向いてなかったと思います。

時間外労働150時間

普段から残業の多い会社でしたが、年度末の2月3月は地獄でした。
連日の深夜残業、休日出勤で時間外労働は月150時間ぐらいありました。過労死ラインを超えています。
家に帰ってもコップ一杯の酒を飲んで寝るだけの日々。まったく楽しいことがありません。

しかし、先輩はもっと働いていました。そのタフさを尊敬すると同時に、この先ずっとはついていけないと思いました。
自衛隊みたいに、年数が経てば経つほど楽になるなら我慢もできますが、逆にしんどくなるなら気持ちが折れます。

私は先輩たちの猛烈な働きぶりに心を折られました。

先輩たちからすれば根性なしと思われるかもしれませんが、私にはそこまで我慢して働くメリットを感じることができませんでした。
これも仕事を辞めることを決意する大きな理由でした。

出会いなし、友人なし、彼女なしのプライベート

以上のように、私は仕事熱心ではないダメ社員だったわけですが、プライベートも今思い返せばだらだら過ごしていただけでした。
積極的に友人を作る姿勢がなかったので、同期社員も知り合い程度の仲にしかなりませんでした。
当然彼女なんてデキるわけありません。
デキたらいいなとは思っていましたが、思うだけで何の行動にも移りませんでした。

休日はずっと一人で過ごしていました。
基本的には酒を飲んでゲームをしていました。
特に後の財産になるようなことはしていませんでした。思い出もありません。

あの日々は何だったのかと、今思えば後悔の嵐です。

出口を探して

これまで書いてきたように、会社で働くことはラクではありませんし、楽しくもありませんでした。
一体自分は何のために働いているのかを見失っていました。

・一流の技術者になりたい
・出世したい
・金持ちになりたい
・遊びたい
・世の中のためになる仕事がしたい

これ以外でも何でもいいのですが、1つでも信念があれば、ツラい仕事にも耐えることができたと思います。
しかし私には、疲労困憊の体と精神を支えてくれるような信念はありませんでした。

じゃあ、すぐに仕事を辞めたか、といえばそうではありません。

まだ年数も浅いし、大した実務経験もないので、自分が業界内の他社で通用するとは思えません。
また、大したスキルのない30歳ぐらいの男が他業種に転職するといっても、かなり行き先は限られますし、給料は間違いなく下がるでしょう。
やはり将来に対する不安はあったので、辞めるかどうかはかなり悩みました。

しかし、何と言ってもここで働き続けることは無理だと感じていましたし、取り敢えずどこか出口を探さなくてはいけませんでした。

そこで思い出したのが青年海外協力隊でした。学生時代に興味を持って色々調べていたのですが、実務経験があったほうがいいので、その時は参加を諦めました。
会社員として多少は経験を詰んだ今なら参加できるのではないか?
あらためて協力隊について調べてみると、今の自分にピッタリでした。
協力隊の任期は2年なので、2年たったらまたどこか行き先を考えなくてはいけないのですが、取り敢えず今の状況から抜け出す出口としては十分でした。

ショボすぎる最後

2年目の秋、私は青年海外協力隊への参加を決めました。
大っぴらには言いませんでしたが、ふと先輩に漏らしたら、上司に伝わって話を聞かれました。
そこで、わたしは次の春に協力隊選考の受験をすることと、合格したら退職して参加する旨を伝えました。

それで事実上、私のその会社でのキャリアは終了しました。

3年目の始まり。
新たな業務が割り振られますが、私には新規の業務はありませんでした。
辞めるかどうか分からない社員に任せられないということです。

私の仕事は去年度の仕事の修正と、先輩社員の臨時補助でした。
仕事は一気に暇になり、定時で帰れるようになりました。
ストレスが一気に無くなり、ラクになりました。
反面、もうこの会社に居続けることができない状況なので少しさびしくもありました。

その春に協力隊を受験して、夏に合格の知らせが届きました。
そして、上司にそれを伝えたら、すぐに退職までのスケジュールを作るように言われました。

実はその少し前、ワーキングホリデーに行く先輩社員が辞めたのですが、かなり引き止められたそうです。
1年経ったらまた帰って来いとも言われていたそうです(結局、会社には戻ってきませんでしたが)。

しかしまあ、私の場合はあっさりというか、「辞めるの?じゃあどうぞ!」という感じでした。
それが上司の私に対する評価でした。
自分で言うのもなんですが、当然だと思います。
私はあの職場には必要なかったと思いますし、将来性もありませんでした。
下手をするとTさん化していたかもしれません。
早いうちに切ることができて、会社としてはよかったことでしょう。

結局、10月半ばから代休・年休消化で、年末に退職することが決まりました。

その2ヶ月ぐらいの休みは堕落して過ごしていました。どこまでも馬鹿です。

そして、年末仕事納めの日。
上司に連れられ関連部署に挨拶に行き、退職の手続きを終え、私の会社員人生は終わりました。

私の退職を惜しんでくれたのは2人。
上司と対立して我が道を行っていた先輩と、他部署の部長でした。
その他部署の部長は怒りっぽいので嫌いでしたが、最後は熱く激励してくれて、存外に嬉しかったです。

直の上司は、じゃあ頑張ってね、という感じでした。

最後に社員証と社員章を返却して、全てが終わりました。

期待されて入社した割には、あまりにショボイ最後でした。


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