私のアフィリエイター物語(成り上がり編)


nariagarihen
坂本君のようなFXの才能がなかった私は、凡人でも努力次第で成功できるというアフィリエイトに挑戦しました。
今では毎月ある程度の収益(40万円~90万円)を上げていますが、その道程はラクではありませんでした。

まずは、私のこれまでのアフィリエイトの売上の推移を見てください(上図)。
注目して欲しいところが2点あります。

まず、開始からかなり長い期間稼げてなかったこと。
そして、稼げるようになっても波が激しいということ。

会社員も入社して初月、あるいは初年度は仕事を覚えるのが精一杯で、会社に利益を生み出さないことがほとんどです。
それでも、決まった額の給料を初めから貰えます。
しかし、アフィリエイトは、というか、すべての自営業は、自分で利益を生み出さないと収入がありません。
当然、始めは貯金を食いつぶす生活になります。

このまま稼げなかったらどうしよう?

そんな不安と戦いながら作業していました。私の場合、1年ぐらいまともに稼げなかったので精神的にキツかったです。

稼げるようになっても、零細企業なので市場環境によって売上が大きく左右されます。
私のアフィリ収入が激減しているのは、私が仕事をサボっていたわけではなく、グーグルの検索エンジンの使用の変更という外部環境の変化の影響です。
こういう大きな環境の変化は年に2回ぐらいあって、毎回対応が大変です。

しかし、アフィリエイトは仕事時間を自由に決められますし、人間関係的な悩みもないのでその点は気楽です。

私のアフィリエイトの感想は、まとめると以上のようになるのですが、もう少し具体的なことを私が今に至る経緯に沿って書きたいと思います。

自分にはサラリーマンは無理

TOPページでも触れましたが、サラリーマンの頃、私は会社での働き方に疑問を持ち、今後自分がどう働いていくか、悩んでいました。
具体的には
★長期間の残業や取引先の理不尽さを我慢してでもそれが仕事と割りきって働き続けるか
★我慢が必要ということは自分には向いてないということだから、保証はなくても自分の道を進むか
ということでした。

しかし、自分の道を進むといっても、私には大してとりえがないし、会社辞めてどうするんだよ、という壁がありました。

答えは出ませんでしたが、2年間海外で考えようと青年海外協力隊(派遣先:フィジー)に参加しました。
青年海外協力隊も任期が2年なので、どう生きるのか決断するのが2年伸びただけでした。なので、フィジーでもそのことを考え続けました。

その結果、フィジー人のゆるい働きぶりにも影響されて、帰国しても就職しないことにしました(2010年秋。帰国半年前ぐらい)。

自営業ということになりますが、じゃあ何をするのか?

何年か前、学生時代に本で読んだアフィリエイトというネットビジネスのことを思い出しました。

特にIT関係のスキルがあるわけではないけど、あれなら出来るんじゃないか。あらためてアフィリエイトのことをネットで調べました。
アフィリエイトが日本で始まったのが1999年で、それから10年以上経っていることもあり、ネットではアフィリエイトの情報も豊富でした。

簡単なのか、難しいのか。儲かるのか、儲からないのか。

様々な情報が混在していて迷いましたが、初期費用も大してかからないことからやってみることにしました。

昼間はフィジーの職場で有機肥料を作ってたりして忙しいので、帰ってきてからずっと勉強したりサイトを作ったりしていました。
いわゆる兼業アフィリエイターです。

はじめに作ったサイトは趣味だったカラオケに関するサイトでした。
始めはなるべくコストをかけたくなかったので、無料ブログ(fc2ブログ)で作りました。
無料ブログは作るのは簡単ですが、自分の思い通りにカスタマイズするとなると、手間がかかります。
ウエブサイトの基本的なことを勉強しながら、1ヶ月ぐらいで完成しました(2010年11月)。

そのサイト、一生懸命作りましたが、今から見れば突っ込みどころの多い未熟なサイトです。
(今ならそれ以上のサイトを3日で作れます。)

しかし、当時はそのサイトで月5千円ぐらい稼いでくれないかな、と期待していました。

11月はそのサイトからの報酬は0円でした。
しかし、12月の末に報酬画面を確認すると41円となっていました。
たった41円でしたが嬉しかったですね。
嬉しくてその日は同居していた隊員とワインを飲みました(そのワインは600円ぐらい…)。

実は、帰国する3月までに1円も稼げないならアフィリエイトは止めようと思っていました。
だから、41円稼げたことは金額以上に意味のあることでした。

結局、そのカラオケのサイトは4年ぐらいで800円ぐらいしか稼げませんでした。挙句に理由は分かりませんが凍結されて今は見れなくなっています(fc2ブログではよくある)。
何十時間もかけて作ったサイトなので、費用対効果を考えると失敗作なのですが、私がアフィリエイターとしてやっていく決意をさせてくれたので失敗とは思っていません。

この後も私は失敗サイトを量産することになりますが、それも良い経験となって次につながっているので、結果的に失敗というか成長するために必要な練習だったと考えています。

帰国後、専業アフィリエイターへ。というか実態は無職のおっさん。

2011年3月、あの大地震の2週間後に帰国しました。

まだその衝撃を日本社会が受け止めきれておらず、非常事態の雰囲気をピリピリと感じましたた。
例えば、テレビCMは自粛で公共広告だけが流れていました(ぽぽぽ~ん、が懐かしい)。

そんな重苦しい世相の中、私のアフィリエイターとしての活動が本格化しました。
目標は1年以内にアフィリエイトで生活できるようになること。
具体的には来年3月までに月15万円のアフィリエイト収入を得ることでした。

その時点での私のアフィリエイト収入は100円にも見たない状態でした。
なので月15万円は果てしなく高い壁に思えました。

しかし、会社員という道に背を向けた以上、アフィリエイトで成功するしか自分の生きる道はありません。
腹をくくって必死に作業しました。

●その頃の1日のスケジュール

7:00起床
朝飯食べながらネットサーフィン。
その後仕事

12:00 昼飯
その後仕事

18:00 晩飯
その後仕事

21:00 酒

0:00 就寝

1日の楽しみは飯と酒だけ。
あとはずっと仕事をしていました。

正直、サラリーマンの時より働いていたと思います。
それなら会社を辞めないで、そのまま働いていても同じじゃないの?と思うかもしれませんが、儲かってなくてもこの頃の方が充実していました。
それは以下の理由でした。
●自分の努力が収入に直結するのがおもしろい。
●人間関係的なストレスがないので、その分仕事にエネルギーを注げる。
●出勤しなくていい。
●夢がある。今は儲かってなくても、将来的には月100万円を超える可能性だってある。
●レールから外れた人生を送る、スリルがある。

結局、4月も5月も収入は100円を超えませんでした。
しかし、はじめからうまくいくとは思ってなかったので、それほど焦りはありませんでした。

なお、収入がほとんどなかったので、他人にはアフィリエイターや自営業とは名乗らず、無職で通していました。
カードの審査では無職だったので落ちました。アフィリエイターと書いても落ちたと思いますが。
部屋を借りる時は苦労しました。家賃を半年分前払いすることでようやく許してもらえました。
収入がないと自分に自信がもてず、積極的に人付き合いしようという気が失せます。しかし、たまに友人に会うと、私が無職ということで大体おごってくれました。

アフィリエイターとして1日12時間以上働いていても、実態は無職のおっさんなのでした。

思ったより伸びない…

6月以降、徐々に収入は上がりましたが、それでも数千円レベルでした。
9月の段階では約7千円、1万円すら超えない状況に焦りを覚えてきました。

アフィリを開始した当初は、失敗は成功の元と思って、儲からなくてもあまり気にしませんでしたが、そろそろそんな綺麗事はいいから金が欲しいと思うようになりました。
これだけ作業しているのに、コンビニとかで普通に働く給料の1/10も稼げないなんて、想像していませんでした。

専業アフィリエイターになって半年で月7千円なのに、1年で月15万円なんて達成できるのか?

自分が想定していたよりアフィリエイトは難しかったです。舐めてたつもりはありませんでしたが、甘かったと言わざるを得ません。
少し心が折れそうになりましたが、今さら道を変えるなんて出来なかったので、アフィリエイトと心中するつもりで作業は続けました。

そして、この時期ショックなことがありました。
いくつも作ったサイトの内の1つが当たり始めました。
1日で300円とか400円の収入をもたらしてくれました。月換算だと1万円ぐらいになる計算です。
こういうサイトを15個作ればいいんだと手応えを感じていました。
しかし、そのサイトは検索エンジンの仕様の変動により、突然アクセスが激減して稼げなくなってしましました。
ようやくアフィリエイターとして芽が出始めたと思ったのに、希望は打ち砕かれました。

その後、今に至るまで、稼いでいるサイトがいきなり稼げなくことは何十回も経験しており、今は慣れっこなのですが、初めはかなり凹みましたね。

こんなにも頑張っているのに何故稼げない?

10月、11月は約2万円でした。
1万円の壁を超え、徐々に浮上しつつありましたが、相変わらず15万円は高い壁でした。
偶然でも何でもいいから、とにかく成果が欲しくて欲しくて仕方がない状況でした。
しかし、自分のやるべきことは祈ることではなくサイトを作ること。
この頃は気が狂ったようにサイトを量産していました。
11月は100個以上のブログを作りました。
とにかく苦しくて、もがき続けた時期でした。

光明

11月の頑張りが成果につながって、12月は約7万円、翌年1月は約8万円の収入になりました。まだ目標の15万円まで差がありますが、徐々に希望の光りが見えてきました。
しかし、3月までに15万円は厳しいと思っていました。

春一番

2月になると、サイトを作る数が減ってきました。ネタ切れ状態で次に作るサイトのテーマを考える時間の方が長くなってきました。
一方、コツが分かってきたのでサイトが当たる確率は高くなってきましたが、以降、今に至るまでネタ探しがもっとも苦心するところとなります。

さて、2月の収入は約9万円。そこそこの金額になりましたが、さすがに来月15万円を超えるのは難しいと思いました。

ところが、3月は絶好調。
これまでまいた種(サイト)が一気に花開きました。

結果、3月の収入は15万1千円。見事に目標を達成しました!

ちょっと前まで絶望的だった目標だったので、自分の中では偏差値30から東大合格、ぐらいのインパクトがありましたね。

素直に嬉しかったし、自分に少しは自信を持つことが出来ました。

月15万円は最低限一人で生活出来るだけの収入ということで設定しましたが、次は同年代のサラリーマンと同じぐらいの収入ということで月50万円を目標にしました。1年以内が目標でした。

躍進

4月は3月に比べて少し落としましたが、5月は躍進して36万円まで行きました。想像を上回る伸びに自分でもビックリでした。1年前は月収100円未満で自分に自信も持てず、背中を丸めて生きてきましたが、これなら堂々と道の真中を歩けると有頂天でした。

そして、調子に乗って事業を法人化することにしました。

手続きはほとんど自分でやって、1ヶ月ぐらいで株式会社を設立できました。6月のことです。

実は、この程度の収入では、税金や社会保険料を考えると個人事業として運営したほうが得なのですが、これまでずっと社会的立場のなさに悔しい思いをしてきたので、見えを張って株式会社にしました。これで私は代表取締役社長になりました。浮かれていたので名刺も作って友人に配りました(苦笑)。

多少浮ついてはいましたが、その後も収入は伸び、8月には目標の50万円を超えました。
日本に帰ってきてから1年5ヶ月後のことでした。

坂本君のようなFXの才能があれば、もっと簡単に人生は行ってたと思いましたが、凡人の自分でも努力と根性があれば、会社に頼らない生き方ができることを証明出来ました。

月50万円稼げたことより、自分の選択は正しかったいう確信が得られたことが最高の成果でした。

話の区切りとしてはこれで第一部完というところです。

ここまでなら努力が報われた系のいい話かもしれませんが、その先は慢心・転落・迷走のストーリーになります。
私のアフィリエイター物語(転落・迷走編)へ続く


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